日本の国家安全保障80年代
序章 6
アフリカ
では
1974年9月
に
エチオピア革命
によって
ハイレセラシエ皇帝の政権
が
終焉し
メンギスツ政権
が
誕生、
次々と
親ソ連
の
政策を実施し、
1978年
に
共産主義
ソ連
と
エチオピア間
で
友好・協力条約が締結された。
そして、
この
共産主義ソ連エチオピア
と
親アメリカ的であるソマリア、西ソマリア解放戦線
が
オガデン地方をめぐって紛争となり、
東部アフリカでの最大の危機要因となった。
アラビア海を望む「アフリカの角」の主導権を米ソのどちらが握るかが焦点となった。
アフリカ南部
の
アンゴラ
では
MPLA(アンゴラ人民解放運動)
と
FNLA(アンゴラ解放民族戦線)、
UNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)
による
内戦が勃発した。
共産主義
ソ連
は
1976年10月
に
アンゴラ(MPLAとのあいだで)
と
友好・協力条約を締結、
軍事援助を開始、
親ソ連
の
共産主義キュ-バ
は
軍を派遣した。
それに対し、
中国
は
FNLA,
UNITA
に
軍事援助し、
さらに
国境付近に迫る
共産主義キュ-バ軍
に
危機感を抱いた
南アフリカ共和国
も
FNLA,UNITA
に
軍事援助
するとともに、
南アフリカ共和国
自らも直接軍事介入を行った。
アメリカも一時期までFNLA,UNITAに援助していた。
モザンビ-ク
では
共産主義
親ソ連派
の
FRELIMO(モザンビ-ク解放戦線)
が
政権に就き
モザンビ-ク人民共和国
が誕生、
1977年3月
に
モザンビーク人民共和国
は
ソ連と友好・協力条約を締結し関係を深めていった。
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