日本の国家安全保障80年代
序章 5
一方で、
1972年5月22日
の
SALT(戦略兵器削減交渉)調印
は
アメリカとソ連
の
対立
を
緊張緩和の方向へ向けさせる
と
一般では考えられ、
1973年3月29日
の
南ベトナム
からの
アメリカ軍撤退完了、
そして
1975年
の
ベトナム戦争終結
というながれ
も
緊張緩和を促進させる
というふうにとらえられた。
1975年
の
CSCE(全欧安保協力会議)発足
も、
米ソ冷戦緩和
を
予感させた。
1978年
の
『昭和53年版日本の防衛(防衛白書)』
においても、
「2超大国の対立という戦後の基本的構造は変わっていない」
ものの、
「米ソ間の平和共存、中ソの分裂」
という
大きな変化が見られる
と
指摘している。
北東アジア
においては、
「米中ソ3局対立で紛争おこりにくい(均衡成立)」
という
記述が見られ、
同様に翌年、
1979年
の
『昭和54年度版日本の防衛(防衛白書)』
においても、
「(防衛計画の)大綱が前提とする情勢の基調が大きく変化したとはいえない」
との
表現で示した通り、
防衛庁に危機感は感じられない。
東アジア
において
1975年8月
に
ラオス人民民主主義共和国、
翌1976年7月
には
ベトナム社会主義共和国
が
相次いで誕生、
インドシナ
において
親ソ連の社会主義政権
が
大きな存在を示した。
特に
ベトナム
へは、
極東ソ連沿海州
から
日本海、
対馬海峡、
東シナ海
を
通って
ソ連海軍、
ソ連空軍
が
ダナン、
カムラン湾に派遣されるなど、
共産主義ソ連
の
プレゼンスが強まった。
そして、
カンボジア
では
1976年4月
に
キュー・サムファンを元首、
ポル・ポトを首相
とする
共産主義
の
毛沢東主義(親中国派)
「民主カンプチア共和国」
が
誕生、
ベトナム、
カンボジア
と、
アメリカと関わりの深い
東南アジア諸国連合(ASEAN)
との
三極の緊張状態が始まったのであった。
そして、
極東ソ連軍・ウラジオストク
に、
VTOL(垂直離着陸機)
30機搭載
の
キエフ級空母
ミンスク
満載排水量41400トン
カラ級巡洋艦
ペトロパウロフスク
満載排水量8900トン
イワン・ロゴフ級揚陸強襲艦
イワン・ロゴフ
満載排水量14000トン
戦車25両搭載
などが回航され、
戦力が増強された。
また
1978年
には、
1960年以来
18年ぶり
に
国後島、
択捉島
に
ソ連地上軍(旅団規模、5000人)
が
配備されたのが確認される
ととともに、
ミコヤンMIG-23戦闘機
初飛行1967年、
自重10,2トン、
推力127kN×1
の
飛行隊も配備される
など、
北海道を中心とした日本列島における露骨な脅威となった。
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