国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代
読売新聞と朝日新聞 1994年
読売新聞における論議 1994年
1994年(平成6年)1月1日の社説
「自由主義・国際主義・人間主義 平和で活力ある21世紀に向けて」
では、
軍事紛争の発生が避けられないことであり、
国連だけでは対処不可能でアメリカ軍の関与が必要になる、
と主張している。
日本はこうした国際情勢に対し、一国平和主義から脱皮し応分の貢献をする国際主義へ進むべきとしている。
1994年2月27日の社説
「『基盤防衛力』構想は堅持せよ」
では、
細川護熙首相の私的諮問機関『防衛問題懇談会』による新たな防衛政策が模索されることについて、
限定的かつ小規模な侵攻に対処できる必要最小限度の防衛力の維持と、
それ以上の有事におけるアメリカ軍の来援を可能にするための日米同盟の強化
を求めている。
1994年12月20日の社説
「防衛論議なき防衛予算の編成」
では、
社会党の圧力で、防衛費が対前年度比0,855%に抑えられたことについて、
日本のおかれた国際情勢を無視した軍縮ありき、数字ありきの政策であると批判している。
さらに、
日本は欧米と比較して防衛費の対GNP比が低い
ことも指摘している。
1994年8月13日の社説
「新たな安保論議のスタートの好機」
では、
細川護熙首相の時代から始まった首相の私的諮問機関「防衛問題懇談会」が提言している
陸上自衛隊の削減や海上自衛隊の艦艇削減、弾道ミサイル対処能力、戦闘機部隊削減、空中給油機導入を評価、
村山富一首相にたいして行動を求めている。
中国の軍拡、拡張主義や北朝鮮情勢の悪化時にこの軍縮提言は不安に思えるが、読売新聞はこの提言をたたき台にして、議論を広げるよう求めている。
1994年3月31日の社説
「政治は憲法論議を避けるな」
では、
憲法の枠にとらわれない情勢を見据えた論議を求めている。
1994年5月12日の社説
「自由な安保論議を封じるな」
では、
集団自衛権をタブー視しない活発な論議を求めている。
日本の安全のための提言で、こうした提言をせざるを得ない日本の実情をよくあらわしている。
北朝鮮の核保有、IAEA(国際原子力機関)脱退問題については、
1994年2月17日の社説「北朝鮮は核カードの限界を悟れ」、
1994年3月6日の社説「北朝鮮は『国際協調』を見誤るな」、
1994年3月18日の社説「北朝鮮は損得を計算し直せ」、
1994年3月24日の社説「『北朝鮮』で日韓連携の強化を」、
1994年6月2日の社説「北朝鮮に冷静で毅然たる対応を」、
1994年6月12日の社説「重ねて北朝鮮に再考を促す」、
1994年6月14日「IAEA脱退で事は解決しない」、
1994年6月24日の社説「北朝鮮問題はこれからが正念場」
において、
日米韓の結束によって、北朝鮮に国際原子力機関、核拡散防止条約脱退、核保有を断念させようとしている。
結局、北朝鮮に核保有を認めることになったので、もっと強い態度において、北朝鮮をおさえるべきだったと思われる。
1994年8月30日の社説
「『常任理事国』入りに腰を引くな」
では、
村山首相の国連常任理事国入り消極姿勢を
「国際社会の役に立ち、同時に国益にも沿う道となる」
と国連常任理事国入りを憲法の枠内でしか捉えられない首相を
「日本の立場を背負う責任者として見識に欠ける。」
と、批判している。
村山首相の言う
「こちらから売り込んでなりたいという性格のものではない」
という態度も批判しているが、
まったくそのとおりで、村山首相の国連や国際情勢に対しての見識のなさを的確に批判している。
1994年9月16日の社説
「前向きに『国連』論議深めよ」
では、
武力行使をともなわない国連平和維持活動を前提に、
国連常任理事国入りをめざす政府を批判している。
1994年9月28日の社説
「『常任理事国入り』へ全力で取り組め」
では、
PKOにこれまで以上に貢献するなど、積極的に支持している。
1994年8月の社説
「『普通の政治』の時代を迎えた」
では、
マスコミ、政党の憲法神学論争を終え、憲法論議を進めるように提言、
これが読売新聞の1994年の最大の提言であろう。
朝日新聞における論議 1994年
1994年1月10日の社説
「防衛大綱見直しは広い視野で」
では、
ソ連という脅威がなくなったなか、北朝鮮や中国の脅威を
「大きな脅威として騒ぎ立てるのは感心できない。」
と、現実逃避的な主張をしている。
そして、日本とアメリカが
「率先して軍縮を主導することが必要だ。」
と、
現実の国際情勢を無視した提言を続けている。
そして、外からの脅威も内乱も可能性が低いとして
「国連協力の別組織」
を訴えている。
1994年7月30日の社説
「政治主導の予算というならば」
では、
防衛費が対前年度比で増加したことに対して
「冷戦後の国際情勢を視野に入れれば、もっと削り込んで当然だ」
と主張している。
1994年8月13日の社説
「これでは軍縮はできない」
では、
防衛問題懇談会が提出した報告書がPKO専門部隊を否定していることに対して
「視野が狭い」
と批判している。
1994年12月17日の社説
「これが首相の『軍縮』なのか」
では、
新たなる国際情勢の下、
防衛官僚主導で進められた防衛予算に異議をとなえている。
戦域ミサイル防衛に対して、
1994年12月24日の社説
「『戦域ミサイル防衛』は慎重に」
において、
北朝鮮の核保有問題は外交で解決すべき、
と主張している。
1994年8月3日の一面
「座標 『自衛隊合憲』を考える」
では、
数多くの自衛隊装備が
「違憲」状態にある、
と批判している。
1994年の朝日新聞の傾向は、ソ連の崩壊と、北朝鮮や中国の新たなる脅威を認識しつつも、それについての具体的防衛計画は提言せず、ひたすら一方的軍縮を唱えることに終始している。
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