PKOで海外派遣の自衛隊が危機にさらされた時代

カンボジアの和平のため国連カンボジア暫定統治機構UNTACでのPKOに参加することにした日本。

 

カンボジアに陸上自衛隊が派遣された。

 

カンボジアでは中国に支援された親中派のポル・ポト派が選挙に反対し和平を妨害した。

 

ポル・ポト派はUNTACへ武力を行使しUNTAC関係者に多数の死者が出るなどカンボジア情勢は極めて危険なものとなっていた。

 

カンボジアに派遣された陸上自衛隊の武装は64式小銃とP220拳銃に限られ自衛すら難しいものだった。

 

しかも64式小銃に付けられた弾倉の中に弾を入れることは許されなかった。

 

日本政府は陸上自衛隊が攻撃を受けた場合、空の弾倉を抜いて弾が入っている弾倉に付け替えてから反撃するよう厳命した。

 

あまりにも非現実的なことを現実にやらせていた日本。

 

陸上自衛隊に対しては攻撃しなかったポル・ポト派だがオランダ軍を攻撃している。

 

さいわい攻撃されなかったが場合によっては大惨事となり、政権存立どころか国家の存立さえ問われかねない事態になっていた。

 

国内政治を優先し、社会党や共産党、左翼マスコミに遠慮し過ぎた日本。

 

湾岸危機、湾岸戦争で「日本は国際貢献をしない自己利益しか考えない身勝手な国」と批判されたので国際貢献に憑りつかれて慌てて国連に協力した日本。

 

国民が議論しなければならないことを急ぎ過ぎた。

 

しかし日本国内では共産主義プロパガンダに引っ掛かりプロパガンダ妄信になった者が影響力を持っており議論が成立することは無い状態だった。

 

見切り発車せざるを得なかった日本。